アスリート社員紹介
シンプレクスグループには、障がい者アスリート社員が多数在籍しています。
シンプレクスグループでは、オフィスで働く社員もアスリート社員も、5DNAとSimplex Philosophyという共通の理念を胸に、それぞれの特性を生かし各方面で活躍しています。
このページでは、各種競技で活躍するアスリート社員を紹介します。
青木 優真
競技
パラ卓球
実績
意気込み
2023年は全日本パラで準優勝という功績を残すことができましたが、日本代表選手には惜しくも選出されませんでした。2024年にはクラスも4から5に変更され、更に厳しい戦いをすることとなりますが、常に挑戦者としてよりストイックに競技と向き合い、日本を代表する選手になるよう頑張っていきますので、応援のほどよろしくお願いします。
阿部 武蔵
競技
パラ柔術(ブラジリアン柔術)、車椅子ハンドボール
実績
競技の部Ⅰ(6人制) 優勝、競技の部Ⅱ(4人制) 優勝
ParaJiu-Jitsu Men K1 - K3 優勝
Male Brown Black Adult Light Heavy 優勝
意気込み
シンプレクスグループの一員となった今の私は、環境的にも精神的にもこれまでで一番強くなれていると感じています。皆様の応援が力となり、挑戦を続ける原動力となっています。来年はパラ柔術で2団体の世界大会連覇、車椅子ハンドボールでは全国大会3連覇という大きな目標に向かって進んでいきます。これからも常に挑戦者として、自身の領域でNo.1を目指し続けます。どうか温かいご支援をよろしくお願いいたします。
池山 優花
競技
パラ卓球
実績
意気込み
私は数年前の交通事故で脊髄損傷し、車いす生活になりました。健常の頃は陸上競技に励んでいました、屋外スポーツが大好きで屋内競技は無縁でしたが車椅子卓球に出会い卓球に熱中することになりました。今はクラス3という区分で優勝して、国際大会に出ることを目標に日々練習に励んでいます。自分のペースで一生懸命頑張っていきます!
稲葉 将
競技
パラ馬術
実績
競技優勝・個人決勝競技 優勝
パラリンピック本大会における日本人選手歴代最高スコアを記録
意気込み
馬術競技の本場であるヨーロッパの選手たちと対等に戦えるような選手になることを目標に、日々のトレーニングに励んでいます。また競技や関連する活動を通じて、いまよりももっと多くの方々に「馬」に興味・関心を持っていただけるように、そして応援していただける選手になれるようこれからも引き続き取り組んでいきたいと思っております。
遠藤 珠美
競技
パラ水泳 100m平泳ぎ
実績
意気込み
2023年にアジアパラ大会にて初めて日本代表を経験し、パラリンピックに出たい、国際大会でもメダルを獲れるような選手になりたいという思いを一層強くしています。東京・パリと二度にわたりパラリンピック出場は逃しましたが、目指してきた過程を必ず糧にして、世界選手権、アジアパラ大会、ロスパラリンピックでは活躍できるよう、周囲のご支援もいただきながら日々練習に取り組んでいます。
久野 竜太朗
競技
パラ陸上競技 100m
実績
意気込み
幼稚園の頃から目が悪く小学2年生の時に難病の網膜色素変性症という進行性の病が発覚しました。
一般企業に入社しましたが、設計の仕事で目を酷使したことで、進行が急激に早まってしまいました。
不安感が襲い落ち込んだこともありましたが、同じように障がいを持った子供たちに出会い、スポーツや趣味に没頭する明るい姿をみて前を向くことができました。その子供たちと一緒に出場した陸上大会が陸上競技を始めたきっかけです。子供たちがしてくれたように、陸上を通して同じ境遇の方たちに良い影響与えられる選手になることと、国際大会でメダルを獲得することを目指しています。
佐藤 幸恭
競技
パラ卓球
実績
意気込み
2021年の国際クラス別パラ卓球選手権でベスト4が国内の最高成績です。
まだ日本代表に選出されたことはないので、日本代表になることを目指して、県内外の様々な大会に出場しています。そこでの経験と見つけた課題を練習に取り入れ、強くなるために日々取り組んでいます。
立岡 ほたる
競技
車いすバスケットボール
実績
意気込み
高校1年生の時に障がいを負い、高校3年生の時に車いすバスケットボールに出会いました。2019年に開催された女子U25世界選手権大会に出場したことを機に車いすバスケットボールの楽しさに魅了され、日本代表選手として多くの大会に出場したいと思い練習を積み重ね、2022IWBF世界選手権大会など国際大会にも出場しました。今後も障がい者スポーツの魅力を発信できるよう努力し選手として成長していきます。
土屋 美奈子
競技
ブラインド柔道
実績
意気込み
低体重児で生まれ、生まれつき視覚障がいがあります。高校生の時、体育の必修科目だった柔道に出会い、東海地区盲学校の大会で負けたことから本格的に柔道を始めました。ブラインド柔道を日本中に知ってもらうためには金メダルが必要と感じ、パラリンピックの金メダル獲得を目指しています。街中で見かけた際は気軽に声をかけていただけるとうれしいです。
東山 祐汰
競技
パラ陸上競技 100m、クロスカントリー
実績
意気込み
競輪選手だった父の影響を受けて競輪選手を目指して毎日練習に励んでいましたが、自転車走行時の交通事故で左腕に障がいを持ちました。「障がいを持っていても最大限の活躍をしたい」と思い、2023年からパラ競技を始めました。
夏季のパラ陸上(100m)と冬季のクラスカントリースキーの2種目でパラリンピック出場、メダル獲得を目指して頑張っています。夏季冬季ともに活躍をして、記録と記憶に残るような選手になりたいです。応援よろしくお願いします。
中嶽 樹希亜
競技
デフ卓球
実績
意気込み
私は生まれつき先天性感音性難聴です。中学の部活動が卓球しかなく、そこから競技をスタートしました。デフリンピックの存在を知ったのが高校2年生の時です。強化選手に選ばれ、合宿に参加する度に同じ障がいを持つ人と戦いたいという気持ちが強くなりました。練習成果を精一杯積み重ね、デフリンピック出場を目指します。それだけではなくデフリンピックの認知度を少しでも高めることも頑張りたいと思います!
西 大輔
競技
サッカー、デフサッカー
実績
意気込み
5歳の時に父の影響でサッカーを始め、小学生の時に、プロサッカー選手になり日本代表としてW杯で優勝したいという夢が出来ました。そこから夢に向かって、ずっとサッカーしかしてこなかった人生でした。2023年9月、小さい頃から憧れていた八咫烏のエンブレムを胸に纏い、W杯で史上初の準優勝という結果を出すことができました。しかし、史上初の準優勝とはいえ全く満足できていません。2025年11月に開催される東京デフリンピックで優勝を勝ち取ります。
西村 淳未
競技
パラ柔道
実績
J2+70kg級 2回戦 敗退、敗者復活戦 7位
意気込み
東京パラリンピックの選考では、ポイントがライバルと並び、視覚障害程度のクラスが重い選手が優先的に出場することになり、悔しい思いをしました。パリパラリンピックに向けては、自分よりも何倍も身長や体重の大きな海外選手を相手に戦い、練習していましたが、良い成績につながらず、その結果パラリンピック出場も叶わず悔しい結果でした。しかし、いつも練習でお世話になっている高校や道場の方々のおかげで、少しずつではありますが自分自身が強くなっていることを実感しています。それを感じたのは、2024年11月に行われたカザフスタンでの大会でした。70kg超級から自分の体に合う-70kg級に移ったこともあり、自分の思うような動きや戦い方ができ、優勝できました。まだ多くの課題がありますが、どんなことにもチャレンジして努力し、トレーニングや練習を目いっぱいして、まずは2026年の地元愛知県で行われるアジア大会を目標に頑張って行こうと思います。
花牟禮 潔
競技
パラ陸上競技 100m 200m 400m T13クラス
実績
意気込み
5歳から15歳までサッカーに打ち込んでいました。中学2年生の時に先天性網膜色素変性症が発覚しましたが、困難があっても「前向きにチャレンジする」と決意しました。その後、視野狭窄の進行もあり鍼灸、マッサージの学校へ進学しました。その際にパラ陸上と出会い、2019年陸上競技400mをスタートしました。 現在は、「世界の舞台」を目指して日々のトレーニングに取り組んでいます。
Hello world, I can do it.
日野 雄貴
競技
パラ・パワーリフティング
実績
意気込み
生まれつき膝が曲がらない障がいがありながらも、学生時代は甲子園を目指す高校球児でした。社会人になってからも野球をしていましたが、社会人野球での筋力トレーニングがきっかけでパラ・パワーリフティングへ転向しました。2024年には、全日本選手権72Kg級で日本一になることができました。ここからは世界へ歩みを進めます。また自分の人生においてスポーツから学んだ教訓も多く、障がいがあってもチャレンジできる環境があることを社会や子供たちへ発信していきます。
森本 裕規
競技
車いすバスケットボール
実績
意気込み
26歳でスノーボード中の事故により脊髄を損傷し、車いす生活になりました。車いすバスケットボールを始めたきっかけは入院中、東京パラリンピックを見て車いすバスケットボールに熱中したことです。現在は兵庫県の伊丹スーパーフェニックスというチームに所属し、週2日のチーム練習、週5日の個人練習を行い全国大会で優勝することを目標に活動しています。2023年に天皇杯第48回大会に出場し、チームとしての成績は5位、2024年にも天皇杯第49回大会に出場し、チームとしての成績は3位でした。2025年も、天皇杯第50回大会への出場を決めており、チームとしては優勝、個人としては主力メンバーとして活躍を目標に練習に励んでいます。